パパイヤの歴史

地球上で、最も紫外線があたる時間の長い赤道付近のジャングルで、パパイヤが強力な繁殖力で成長を続けてこられたのは、酵素や多糖類や希有元素などを含む生理活性物質などを蓄えられるようになっているからです。その力によって、パパイヤは古来より” 健康を取り戻す魔法の木の実””メディカルフルーツ”と呼ばれているのです。


ジュラ紀

パパイヤは中南米原産のパパイヤ科の果樹。その発生は現在から約2億年前に始まり約1億4千万年前まで続いたジュラ紀にまで遡ぼり確認できます。ブラキオサウルスやディプロドクスなどの巨大恐竜もパパイヤを食べていたのかもね。


古代マヤ文明

メキシコのユカタン半島にマヤの人々が残した数万以上にも及ぶ古代遺跡群チチェン・イツァ周辺には、パパイヤをはじめとする食用・薬用植物が群生しています。
天文学と同様に医療技術がとても発達していたと言われるマヤの人々は、薬用となる植物を都市周辺に栽培し、食料や薬用に使ったそうです。


16 世紀の大航海時代

スペインの探検家バスゴダガマ(コロンブスという説も)隊の船員のひとりが胃けいれんでたおれた際、原住民に差し出されたパパイヤを食べるやいなや、たちまちに治ったそうです。これに驚き、その種を本国に持ち帰り、その後航海の拠点となる熱帯地域の島々に広まったそうです。それ以降、青いパパイヤは、過酷な航海を続ける船乗りたちの壊血病予防、消化改善などに役立つ大切な栄養源として重宝されたそうです。


キリスト教布教時代~インディオ交易時代

航海士たちによってスペイン領のマジョルカ島に植えられたパパイヤは、ヨーロッパの各地に広まりました。やがてキリスト教の布教活動を行っていた宣教師たちによってアフリカやアジアの地に持ち込まれたともいわれています。
チリ山中にもパパイヤの群生が見られ、インディオたちに食用されています。暑い地方の市場では、魚や肉、衣類などとの交易商品ともなってどんどん広まりました。現在もチリでは、パパイヤは海岸近くから山岳高地まで広く分布しています。


明治時代

東洋にパパイヤが伝わったのは18世紀ごろ。日本には明治時代になってから「蕃瓜」、「万寿果と」いう名前で伝えられました。沖縄ではパパイヤのことを「命(ぬち)ぐすり」といってとても重宝しています。輸入が許可された1968 年以降に市場に多く出回るようになり、小笠原、鹿児島などでも栽培が始まりました。